‘電子書籍’ タグのついている投稿

本当は恐ろしいInDesignの話 〜文字化け問題

2012/05/21

 前回のエントリーで書かせていただいたInDesignデータからの電子書籍化に伴う外字処理の問題について、文字コード・フォント関連について豊富な知識をお持ちの方々に関心を持っていただき、これをどうにかするための取り組みが始まりました。具体的にはものかのさん、moji_memoさん、市川せうぞーさんの面々で、ちょっととんでもないレベルの方々です。これに対して、publidge(出版デジタル機構)の深沢さんからも関心を寄せていただき、フォントメーカーの方にもアドバイスをいただく形で電子書籍の外字問題に対しての取り組みが始まりました。以下は現時点で判明している問題についての簡単なまとめです。いずれこれに関してはpublidgeから正式にどういった対策をとるべきかのアナウンスがあることと思われますが、すでにかなり「恐ろしい」事実が判明しているので、事前段階での告知の一翼を担う意味で書かせていただきます。

InDesign画面上の表示文字と、内部で保持している文字が違う

 前回のエントリーで、私は「合字」について「複数の文字コードで構成された文字をInDesign等の対応アプリ内でOpenTypeの機能を呼び出して「合字」として表示している文字」を、コピー&ペーストすると複数の文字に展開されて表示される、と書かせていただきました。
 これに対して安岡孝一さんより U+2668「♨」など、Unicodeで1文字で表示できる文字の合字処理に関してのご質問をいただき(ありがとうございます!)、どうやらInDesign内では「♨」を2通りの入力方法で入力でき、どちらの入力方法で入力したかでテキストエディタにコピー&ペーストした際の結果が異なるという事実が判明しました。手元にあるInDesign CS5およびCS6の体験版で確認した限りでは、XMLとして書き出した場合やEPUBとして書き出した場合でも、同様の状況が確認できます。以下、具体的な検証です。

 「♨」をInDesign内にInDesignドキュメントに入力するには、以下の2通りの方法があります。
日本語入力システムで変換して入力

日本語入力システムで変換して入力

1 ATOK・ことえりなどの日本語入力システム上で「♨」と変換した上で入力する。あるいは字形パレットから「♨」を選び、ダブルクリックで入力する(操作としては2通りですが入力されるコードは同じなのでまとめて表記しています)。

「任意の合字」を選んで合字に変換

「任意の合字」を選んで合字に変換

2 まず「温泉」と入力し、InDesignの文字パレットのドロップダウンメニュー内「Opentype機能」から選択できる「任意の合字を」選んで「♨」に変換する。

コピー&ペーストで文字が化ける

コピー&ペーストで文字が化ける

 この2つの入力方法では、InDesignドキュメント内での表示はどちらも「♨」で全く同じですが、実は内部に保持しているテキストは異なります。そのため、1の方法で入力した「♨」は、テキストエディタにコピー&ペーストしても「♨」のままですが、2の方法で入力した「♨」は、「温泉」に変化してしまいます。InDesign内ではどちらの入力方法による「♨」なのか目視確認による校正作業が不可能なため、この時点でかなり頭の痛い事実です。

問題は「合字」だけではない

 さらに、この「InDesingの画面内で見えているテキストと内部に保持しているテキストが異なる可能性がある」という問題は、いわゆる「合字」だけではなく、「旧字体」、「エキスパート字形」、「JIS78字形」などでも確認できることが判明しています。わかりやすい例として「旧字体」の「學」の例を見てみます。

 ユニコード番号“U+5B78”の「學」は、“U+5B66”の「学」の旧字体に当たります。これをInDesign内で入力するには、以下の2通りの方法があります。

日本語入力システムで変換して入力

日本語入力システムで変換して入力

1 ATOK・ことえりなどの日本語入力システム上で“U+5B78”の「學」に変換した上で入力する。あるいは字形パレットから「學」を選び、ダブルクリックで入力する。

字形パレットで「旧字体」に字形変換

字形パレットで「旧字体」に字形変換

2 まず“U+5B66”の「学」を入力した上で、InDesign内字形パレットのドロップダウンメニューから「旧字体」を選び、「學」に字形を変える

コピー&ペーストで字形が変わる

コピー&ペーストで字形が変わる

 この2の入力方法で入力した「學」をテキストエディタにコピー&ペーストした場合、内部に保持している文字は“U+5B66”の「学」であるため、字形が変わってしまいます。InDesign内で目視確認による校正作業が不可能なのは合字と同様です。

現在判明しているその他の問題例

 InDesignのドキュメント内で表示されている文字がテキスト化した際に変化してしまう問題に関しては、他にも以下のような事例が確認できています。

Unicodeポイントを持たず、CID番号しか持たない文字は「1A」という文字に化ける

 市川せうぞーさん制作の動画でご確認ください

「書式」メニュー内「箇条書きリスト」の機能を用いて入力したリストの頭につく番号/記号が消える(「記号をテキストに変換」で通常のテキストに変換はできるようです)

 市川せうぞーさん制作の動画でご確認ください

文字パレットのドロップダウンメニュー内「Opentype機能」から選択して変換したアルファベットの「スモールキャップス」「オールキャップス」の大文字が小文字に変わる

 市川せうぞーさん制作の動画でご確認ください

ビブロスフォントセットは元の文字に変わる(完全に化けます)

 市川せうぞーさん制作の動画でご確認ください

SINGグリフレット機能を利用して入力した異体字・外字は基底文字に戻ってしまう

 市川せうぞーさん制作の動画でご確認ください

同じ文字コード内の「すべての異体字」「エキスパート字形」等は基底文字に戻ってしまう

 過去のエントリー記事をご参照ください。なお、これまでの経緯でおわかりとは思いますが、こちらのエントリー内で配布しているスクリプトで完全な異体字対策が取れるわけではありません。

JIS規格の例示字形の変化の影響で字形の変わる可能性のある文字がある

 前回のエントリー記事をご参照ください。

 これらの問題をお手元でご確認いただくために、サンプルファイルをご用意させていただきました。

 ビブロスフォントセット/SINGグリフレットなどは当方の環境にインストールされていないため例として入れていませんが、それ以外の字形変化に関しては一通りご確認いただけるかと思います。

 現在、こちらの問題に関しては上記の方々により、検証と対策が進められています。ただ、これはあくまで有志によるものであり、世の中の全ての製作環境での検証は不可能です。こうした印刷データ→テキストの文字化け問題に関して「こういった問題もあるのではないか」と思われた方がいらっしゃいましたら、是非Twitterでハッシュタグ「#mojibake」でつぶやいてください。どなたでもかまいません。アーカイブし、対策に活用させていただきます。皆さんのお力をお借りして、できるだけ現場に負担のかからない電子書籍制作環境の構築を目指したく思います。現状での進捗状況に関しましては、こちらをご覧ください。

 なお、外字問題では上記の問題に加えて「サロゲートペア領域の文字」「Shift_JISに割り当てがなく、UNICODEのみで使える文字」「インライン画像として文字を作り、テキスト内に挿入していた文字」「外字の表示用に独自OpenTypeフォントを制作して表示していた文字」などの外字化の問題が残ります。異体字・外字対策だけでこうした状況になっていることを考えますと、「印刷用データからの電子書籍制作」が、少なくともXMDF/EPUBなどのリフロー型電子書籍に関する限り高コストにならざるを得ない現状がご理解いただけるかと思います。異体字・外字対策以外にも、インラインの表組み合成フォント、強制改行やタブなどの特殊文字の変換など、課題が山積みです。

 こうした現状を考えた場合、以前から有識者の方が指摘されていたことではありますが、InDesignなどのDTP制作アプリケーションは制作フローの最終地点として考えるべきであり、将来的な電子書籍制作のハブとして位置づけるべきではない、という結論にあらためて至らざるを得ません。また、将来的には紙書籍に先行して電子書籍を出す「デジタル・ファースト」の動きが出てくるであろうことを考えますと、なおさらInDesign等のDTP制作ソフトに依存した電子書籍制作ワークフローは合理性を持ち得ないものと思います。

 InDesign等のDTP制作アプリケーションはあくまで「印刷物」の制作環境として位置づけ、電子書籍制作環境は別フローとして構築する。その上で双方の制作物を効率的に制作するために、印刷物/電子書籍共通の中間データから最終制作データへの変換ソリューションの最適化を図る。これが、将来的に目指すべき健全な紙書籍/電子書籍双方の制作ワークフローであるということを、あらためて強調しておきたく思います。

 これを実現するには出版社の理解、制作会社の技術蓄積、流通の再整備など課題はたくさんありますが、publidgeの事業がその第一歩となることを心から願ってやみません。

(2012.5.21)

紙で読みますか? 電子で読みますか?

2012/05/08

 電子書籍の話題も、最近は大分一般認知されてきた感があります。このごろは電車の中でタブレットを操作している人をちらほら見かけるようになりました。そのうちのどれだけの人が電子書籍を読んでいるのかは分かりませんが、ひところに比べれば電子書籍の読者も増えてきているのは間違いありません。しかし、紙の書籍の読者の数とでは、比較対象にもならないのが現状とも思います。
 正直、自らを省みても、こんなブログを書いていながらほとんどの本を紙で買って読んでいます。まだまだ電子書籍は「紙の書籍」を押しのけて買わせるだけの魅力は持っていないように思えるのです。このもやもやした 紙の書籍>電子書籍 な感じを払拭しない限り、電子書籍の大規模普及は難しいようにも思えます。個人的には全ての書籍が電子書籍に置き換わる必要はなく、状況に応じて紙の書籍と電子書籍を選んで読める環境があれば良いとは思っていますが、現状では「電子書籍は選択肢に入ってこない」事実をきちんと認識しておく必要はあるでしょう。

 そこで今回は、紙の書籍/電子書籍双方の持つ特性をざっと列挙し、電子書籍の普及にはどういったファクターが必要になるかを考えてみました。

1 携帯性/収納性 電子:○ 紙:×

 かさばらないことは、現状ですでに期待できる電子書籍の大きなメリットです。旅行などの際には荷物を減らす意味で電子書籍を選ぶインセンティブがすでに存在しているように思います。このアドバンテージをさらに推し進めるために必要となるのはまず、「ラインナップの拡充」、次に「異なる電子書店をまたいだタイトル検索システムの整備」でしょう。読みたい本が電子化されていなかったり、例え電子化されていてもどこで売られているのかすぐに見つけられなければ、多少の荷物になるのを覚悟して紙の書籍を選ぶことになります。
 ラインナップの拡充については各出版社・制作会社の対応が待たれるところですが、出版デジタル機構等の登場もあり、だいぶ出版社の参入障壁も低くなってきているように思いますので、これからの展開に期待したいところです。制作サイドとしても、次世代電子書籍規格の本命であるEPUB3に対応した制作ソフトもそれなりに出揃ってきた感がありますし、EPUB3対応のビューアもまだ縦書きなどの日本語表現に一部難があるものが多いとはいえ出てきてはいますので、快適に電子書籍が作れるようになるまでもう少しといったところです。
 異なる電子書店をまたいだタイトル検索システムについては、「OPDS※1」という規格が存在しています。これは電子書籍の書誌情報をオープンに流通させるためのもので、こうした仕組みがほとんどの電子書籍タイトルで使えるようになれば、「探しにくさ」の問題はほぼ解消されるものと思います。すでにO’Reilly Mediaや達人出版会など、対応をはじめている出版社も存在するようです。旅先などでスマートフォン等から気軽に読みたい本を探し出し、簡単に購入できるようになるまであと一歩といったところでしょうか。

 また、旅行などでなくても、普段の業務の中で大きく厚い紙の書籍を何冊も持ち運ぶ必要があった職業の人々にとって、iPad等で楽に資料を持ち運べることの意義は確実に存在します。こちらは特に専門書や教科書といった分野で求められる部分でしょう。Amazonがアメリカで展開している教科書の電子レンタルサービス「Kindle Textbook Rental※2」は、このあたりを狙ったものと思います。一般にアメリカの教科書は日本のそれより重くて厚いため、こうしたサービスにニーズがあると見込んだようです。状況の異なる日本の教科書市場にそのまま輸入できるモデルではないと思いますが、こうした動きが出ていること自体は注目して良いように思います。
 一般の読者にとっても、書棚で場所を取らないことには決して小さくはない意味があります。これは、「自炊」(個人で紙書籍をスキャニングし、電子化する行為)によって蔵書をデジタル化している人々が多数いることからも推測できるように思います。必ずしも個人レベルで敷居が低いとは言えない「自炊」をしてまで電子書籍を求めている人がそれなりの数存在することは、電子書籍の潜在ニーズがきちんと存在していることの何よりの証です。諸外国に比べて狭い家に暮らさざるを得ない日本人にとって、蔵書が居住スペースを圧迫しないことにはそれなり以上の意味があるということでしょう。ただ、すでに「自炊」という電子書籍の入手手段が存在している以上、商業販売する電子書籍にはそれを越える価値が求められることも忘れてはいけないようにも思います。

2 モノとしての充足感 電子:× 紙:○

 紙の書籍には問答無用のモノとしての充足感があります。お金を払って「モノ」を手に入れ、満足感を得る。私たちはこのプロセスに子供の頃から慣れ親しんでおり、お金を払っても実体のない電子データのみしか手元に残らなければどうしても不満は残ります。これはこれまで長期にわたってWebを通じて刷り込まれてきた「電子データ=無料」という図式による部分も大きいようにも思えるのですが、その呪縛を脱するために電子書籍という新しい形式が必要になる、との意見にはなかなか説得力があります。
 一方で、現状の電子書籍で充足感が得られにくい理由は「モノとしての歴史や作り込みがまだ全然足りていない」ことにも求められるように思えます。今販売されている紙の書籍が実は長い歴史の中でふるい分けられ、「読みやすい」とされた大きさの紙に、同じく「読みやすい」とされたフォントを用い、紙書籍の読みやすさを日々追求している組版のプロによって制作されてきたパッケージ製品であることを忘れるべきではありません。また、カバーの装丁などデザインに関しても、少しでも読者の目にとまりやすいように配色やタイトル文字のサイズ、紙質に至るまで考え抜かれて制作され、店頭に並べられているわけで、こうした要素が電子書籍化によって幾分かでも失われるのなら、入手の際の充足感に不満を感じても不思議ではありません。今日書店で目にする紙の書籍は、カバーひとつを取ってみても実に多様な印刷方式・デザインで制作されており、こうしたパッケージの魅力を電子書籍で完全に再現することは決して簡単ではありません。
 電子書籍でこの「充足感」を少しでも補足するためには、紙の書籍では得られない電子書籍ならではの要素をどう盛り込めるかがカギになってくるように思います。例えばカバーひとつを取ってみても、物理的に印刷するわけではない電子書籍では「多種類のカバーバリエーションを用意して読者に選んでもらう」といった展開が紙書籍より手軽にできますし、音声や動画といった紙書籍では盛り込みようのないファクターも電子書籍なら盛り込むことができます。

 個人的にはこの部分は、1冊の本の価格のどれだけを「紙で読むというカタチ」への思い入れに対して支払っているのかにも関連しているのではないかと考えています。小説などのカタチへの思い入れが強くなるジャンルではモノとしての充足感に強い不満を感じ、情報を買う意味合いの大きいビジネス書や専門書ではそこまでの不満は感じにくいのではないでしょうか。

3 検索性 電子:○ 紙:×

 検索システムとの相性の良さは、電子書籍の本来持っている大きなメリットです。これは、「電子辞書」がすでに単独製品として成功していることからも容易に理解できます。これは必要な部分のみを拾い読みすることの多い専門書では特に強く求められる部分で、必要な文献を短時間で的確に探し出せることは、紙の書籍よりも電子書籍を選ばせる大きなインセンティブになるものと思います。さらには1冊の内部にとどまらない、類書や参考文献へのリンクを含めた多彩なインデックスの仕組みが構築されれば、この分野での電子書籍の広い普及に繋がっていくでしょう。書籍内部の索引は現状のEPUBではまだ公式の仕様が策定されていない分野で、現在議論が進行中です。統一仕様であることが書籍をまたいだ索引検索の条件になってくるようにも思いますので、正式な仕様策定を待ちたいところです。
 専門書分野と切っても切れない深いつながりを持つ図書館サイドのプロジェクトとしては、国立国会図書館の「国立国会図書館サーチ※3」というデータベース横断検索サービスがすでに稼働しはじめており、紙書籍を含めて学術論文集や地方図書館の蔵書情報などが検索できるようになってきています。また、図書館と個別契約を結び、蔵書をスキャンしてデジタル化しようとしたGoogleのプロジェクト「Google Book Search Library Project」も、巨大なデジタルライブラリの構築を目指すという意味で最終的には同じ方向性を目指していると見られます。ただ、「Google Book Search」に対して今アメリカで巻き起こっている著者/出版社を巻き込んだ大規模な訴訟に見られるように、こうした「検索の利便性」は「著作権」とぶつかる部分があり、どこかで収益モデルの再調整が必要になってきます。
 一旦はGoogle側が引いたようにも見えたGoogle Book Searchの和解問題は今年に入って再燃※4しており、予断を許さない状況です。これは決して「対岸の火事」ではないため、しばらくは注視しておく必要がありそうです。

4 保存性・独立性 電子:× 紙:○

 紙の書籍は独立したパッケージメディアですので、例え子供時代に買ったものであっても、紙が傷んでいなければ十分に読むことができます。一方で電子書籍は基本的には端末機に依存する消費型コンテンツであり、その「賞味期限」は長いとは言えません。また、友人に貸したり※5、古書店に売ったりするような、紙の書籍なら当たり前にできる行為も基本的にできません。O’Reillyの技術書など、一部、DRM(コピーガード)を適用せずに販売している電子書籍※6などでは友人に渡すことは可能ですが、販売形態として一般的ではありません。また、例えDRMフリーのコンテンツであっても、EPUB3のようなフォーマット規格自体の「賞味期限」もかなり短いことが予測できるため(ここ10年でどれだけのデジタル規格が現れては消えていったか考えてみてください)、やはり紙の書籍と同等の「賞味期限」は保ち得ません。これを考えると、電子書籍の長期的な価値は紙の書籍には及びません
 これを多少でも緩和するためのひとつの回答が、AmazonのKindleや紀伊國屋書店のKinoppyといったようなサービスでの「クラウド上にある電子データへの自由なアクセス権を売る」というモデルです。データはユーザーIDに紐付けされており、ユーザーは好きなデバイスからそれを読むことができます。これであれば少なくとも端末機が壊れたら読めなくなるという短期的なリスクの問題は解決できます。高価な専門書等を電子書籍で販売するには、当分はこの考え方が必須になるように思います。ただ、販売会社が「業務撤退」を選んだ場合、これまで読めていた本が一気に読めなくなることも考えられます。このあたりの問題に関しては、こちらのエントリーが参考になります。
 もうひとつの回答は、「消費型コンテンツ」であることを前提に紙の書籍よりも安く売ることですが、これをしてしまうと、結果的に紙の書籍の価格も下げざるを得なくなるのではないかと思われるため、出版社が現時点で躊躇せざるを得ないのは理解できます。
 個人的にはここの問題は「紙の書籍と少しでも違った商品として売る」ことでしか解決できないのではないかと思っています。「短編集を解体して一篇ずつ売る」、「ビジネス書に多数の動画コンテンツを内包して売る」といったような展開です。同じ商品が紙の書籍と電子書籍で売られていれば当然比較されますが、少しでも違う商品であればそもそも比較の対象になりにくいものと思います。
 一部の専門書系出版社が「情報提供サービス」への方向性を模索しているのも、このあたりの問題への回答のひとつでしょう。

5 表現力 電子:○ 紙:×

 映像や音声との融合といったリッチコンテンツへの発展性、リンクなどを通じた外部のコンテンツとのシームレスな連携は、紙の書籍にはない電子書籍ならではの大きなメリットです。
 ここに求められるものはどういったタイプの書籍なのかによって大きく違ってきますし、アイデア次第で売れる売れないが大きく違ってきそうです。また、紙の書籍と比較して同程度の価格を維持するためにも、この部分がカギを握るでしょう。
 まず、小説やビジネス書などの文字中心の読み物では文字の拡大縮小音声読み上げといったユニバーサルアクセス的な部分の拡充を期待します。このうち、文字の拡大はリフロー型書籍ではすでに可能ですが、ビューア側が実装するべき最大文字サイズがどの程度のポイント数なのかなどについては、まだ一般的な回答が出ていないように思います。また、音声読み上げの本格普及はこれからの課題で、これが当たり前になれば視覚障害者や老眼等で活字を追うのが辛くなってきた層へのアプローチ材料になるだけでなく、忙しいビジネスマンが電車などの移動中にオーディオブック的に「聞く」といった展開も考えられるため、紙の書籍と同程度の価格でも電子書籍を選ぶインセンティブになり得るのではないでしょうか。
 EPUB3は、「DAISY」という視覚障害者などに向けた音声読み上げ規格を取り込んで成立していますので、音声読み上げはソフトウェアの対応状況さえ整えば比較的早期に実装できる機能であるように思います。今後の展開に期待したいところです。

 さらに、前述したようにコンテンツに動画や音声を埋め込めることは、紙の書籍では考えられなかった表現の可能性を生みます。例えば動きの説明に分解写真ではなく動画を使えば、教科書等でとてもわかりやすい説明ができそうなことは簡単に理解できますし、ニュース的なコンテンツに「ライブ感」を与えるために音声を埋め込むといった手法も有効でしょう。また、外部サイトと電子書籍を連携させることで、さまざまな相乗効果を生むことも期待できそうです。
 コミックなどの分野ではニコニコ静画の試みのように「ソーシャルアクセス」などと関連させて、新しい面白さを創出できるかどうかがひとつのカギになるのかもしれません。

 ちょっとまとめてみます。まず、1携帯性/収納性および3検索性は電子書籍が紙の書籍に対して持っている大きなアドバンテージですが、一方で2モノとしての充足感は電子書籍では得られにくく、さらに4で述べたように賞味期限が短く、友人に貸すことや読み終わった後に古書店に売ることもできない電子書籍は紙の書籍と比較して同一価格では売りにくい面がある。このギャップを埋めるためには5の表現力で述べたように「紙の書籍ではできなかった」付加価値がカギを握りそうであり、場合によっては「全く違った商品」として供給する選択肢もある、といったようなところです。

※1 参考 OPDS:http://d.hatena.ne.jp/tatsu-zine/20110118/1295329201
※2 参考 Kindle Textbook Rental:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1107/19/news022.html
※3 国立国会図書館サーチ:http://iss.ndl.go.jp/
※4 参考 Google Book Search裁判について:http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/14/news076.html
※5 参考 Lending Kindle Books:http://www.amazon.com/gp/help/customer/display.html?nodeId=200549320
※6 参考 DRMフリーの電子書籍:http://www.oreilly.co.jp/editors/archives/2011/05/ann-ebook-drm-free.html

(2012.5.08)

「紙」は聖域ではない

2012/04/11

 電子書籍に関するニュースなどに対する反応を見ていると、「自分はこれからも紙で買うからいい」という意見が散見されます。まだまだ電子書籍の読書環境が整っているとは言いがたく、これだけ「紙の本」の環境が充実している日本ではもっともと思える意見です。ただ、「紙の本」の制作・流通形態もまた、これまでとずっと同じというわけにはいきそうにありません。すでにその変化は始まっているように感じています。
 今回は、新しい紙印刷のカタチ、「オンデマンド印刷」について書いてみたいと思います。電子書籍のブログで何故、と思われる方もおられるかも知れませんが、おそらく電子書籍とオンデマンド印刷は無縁ではなく、将来的に相互補完する形で普及していくものと思われるからです。

「オンデマンド」の意味するもの

 印刷業界の中には、「オンデマンド印刷」を「プリンタと同じトナーで印刷するオフセットやグラビアとは違う印刷方式」ととらえておられる方が多いのではないかと思います。これは現状の「オンデマンド印刷機」に対しての説明としては正しいですが、「オンデマンド印刷」そのものの説明としては必ずしも正しくありません。では「オンデマンド印刷」とは何を指すのでしょうか。これは、「注文を受けてから印刷する方式」を指しています。印刷方式がトナーを用いたものでなくても、顧客の注文を受けてから印刷する方式であれば「オンデマンド印刷」です。
 出版・印刷業界の方の中には、ここで当然の疑問を持たれる方もおられるのではないかと思います。「従来のオフセット印刷であれグラビア印刷であれ、顧客である出版社の注文を受けてから印刷をしていたことに違いはないではないか」と言う疑問です。実際、今現在各印刷会社がオンデマンド印刷機を導入している理由も、オフセット印刷よりも少部数印刷に強みを持つオンデマンド印刷機を導入し、各出版社の少部数印刷の要求に応えるためです。例え少部数であれ、印刷されたものが出版社に引き渡され、出版取次を通して全国に配本されるという形において、これは従来の印刷と何ら変わりのないものです。ですが、おそらくこれは「オンデマンド印刷」のもたらす変化の第1ステージに過ぎないものと思われます。

「読者の注文を受けてから書店で印刷する」販売モデル

 「顧客」が「出版社」である限り、「オンデマンド印刷」は従来のオフセット印刷の延長線でしかありません。しかし、最終的に書籍を手にするのは「出版社」ではなく「読者」です。もし、末端顧客である「読者」の注文を受けてから「書店の店頭で」印刷するとしたらどうでしょうか?実はすでに、この形を試験的ながら実現したモデルが存在します。
 昨年初頭、三省堂書店に導入された「エスプレッソ・ブック・マシン※1」という簡易オンデマンド印刷機をご記憶の方も多いかと思います。私も興味を持ち、試してみた一人でした。これは書店の店頭で顧客が注文した本をその場で印刷し、表紙までつけて製本するというマシンで、10分程度でコーヒーを飲んでいる間に出来上がることから「エスプレッソ」という名前を与えられたとのことです。正直1冊あたりの価格は決して安くはなく、ラインナップは少なく、印刷クオリティもまだまだ低く感じられましたが、それよりも「もうここまで出来るようになっていること」に驚きと戦慄を覚える気持ちの方が大きかったことを記憶しています。
 おそらくこれこそが、オンデマンド印刷の目指す最終ステージの「ひな形」ではないかと思います。「読者の注文に応じて1冊ずつその場で印刷する」こと、これがオンデマンド方式の最終到達点のひとつではないでしょうか。現時点での印刷品質や価格はそれほど重要ではありません。品質は、その製品の本質的なコンセプトが正しく、ニーズがありさえすれば急速に改善されるものであることは、例えばiPodの初代から以後の世代へのハードウェア的な洗練の歴史を振り返れば容易に納得できます。価格も流通量と比例して一定ラインまでは速やかに下がるでしょう。それよりも、この新方式が意味する書籍流通システムの本質的な変化にもっと目を向けるべきではないかと感じます。

流通・在庫コストがほぼゼロになり、書店が無限の在庫を持てるシステム

これまでの書籍流通システム

↑クリックでポップアップ拡大表示されます

 現在、紙書籍は私が所属している会社のような印刷会社で制作され、出版社の要求冊数に応じて印刷されて出版社の倉庫から出版取次を通して各書店に搬送されます。Amazonのようなネット書店であっても、「書店」が「Amazonの倉庫」になるだけで、基本的にこのモデルに変わりはありません。出版社はあらかじめ「売れる冊数の見込み」を立てて印刷させ、見込みを超えて売れれば増刷され、見込みよりも売れなければ一定期間を経た後、出版取次※2を通して返本されます。
 これはもともと、活版印刷のような巨大な印刷機と非オンラインの時代に成立したシステムであり、当時としてはこれが最適解であったことと思います。ただ、このやり方ですとどうしても、見込みを超えて売れすぎれば増刷までのタイムラグによる販売機会損失が起き、見込みよりも売れなければ大量の返本が発生する、といったリスクを避けられません。また、売れる見込みが一定部数に到達しなければ増刷もかからないため、本来店頭で手に入る状態なら買ってもらえたかもしれない本が、品切れになっているために買ってもらえない、といった目に見えない機会損失も生じてきます。
 また、各書店の倉庫の面積は有限ですから、結局全ての本を在庫としてストックしておける訳ではありません。さらには配送の費用や時間といった要素も当然無視はできません。現在の配送のコストは極限まで低く押さえ込まれているとは思いますが、それでも「ゼロ」にはなりません。
 「読者の注文に応じて1冊ずつその場で印刷」すれば、これら全ての問題が解決してしまいます。そもそも物理的な在庫がありませんから倉庫を圧迫することもありませんし、返本のリスクもありません。各書籍の元データは、オンライン上の大量に書籍のデータがストックされたサーバーから発注がかかった時点でダウンロードすれば良い話になりますので、実質各書店が書籍の在庫を無限に持っているのと同じことになります。オンライン維持費はかかりますから配送コストは完全なゼロではありませんが、トラックで配送する費用を考えればほぼ「ゼロ」と見なしても良い程度に押さえ込めます。出版社が何らかの方針で絶版にしていない限り、品切れのリスクもなくなります。

書籍データのコンテンツラインナップをどう揃えるか

電子/オンデマンド書籍流通システム

↑クリックでポップアップ拡大表示されます

 一見いいことずくめに思える「オンデマンド印刷」のシステムですが、これが普及するためには越えなければならない大きな「壁」があります。それは書籍の「ラインナップ」をどう揃えるか、という問題です。例えどれだけ魅力的な次世代のシステムであっても、十分な数のコンテンツが揃わなければ絵に描いた餅です。
 実は、コンテンツのラインナップを揃える見込みはすでに存在しているのです。そもそも、ここまでの文章を読んで、ある種の「既視感」を覚えた方も多いのではないでしょうか。そう、オンデマンド印刷のメリットも、現状の問題点も、「電子書籍」のそれと全く同じです。従って「ラインナップ」もまた、電子書籍用の蓄積コンテンツをそのまま共用することが期待されます。そして、出版デジタル機構が目標として掲げている「100万冊」の電子化コンテンツは、そっくりそのまま「オンデマンド印刷」に流用できる性質を持つものです。そうした可能性を見込んでの「構造化された中間データ形式での蓄積」であるのだと思います。従来型の出版エコシステムからの移行に伴うさまざまな問題・・・法整備、出版社側の決裁システムの整備などの問題も、電子書籍用コンテンツの準備と連動して解決されることと思われます。
 もしこの「100万冊」のコンテンツ化が実現し、「エスプレッソ・ブック・マシン」よりもさらに進んだ次世代の簡易オンデマンド印刷機が全国に行き渡ったらどうなるのか。すなわち「100万種類のストックを持つ書店」が、全国に誕生することになるでしょう。

従来の書店・印刷会社はどうなるのか

 さて、そうなった時、従来の書店や印刷会社はどうなるのでしょうか。
 現在、日本ではAmazonを代表格としたネット書店の台頭によって小さな書店の閉店が相次ぎ、大型書店といえども苦しい経営を強いられている状況にあります。新宿ジュンク堂の閉店が記憶に新しい方も多いことでしょう。簡易オンデマンド印刷機は、従来型の書店に何をもたらすでしょうか。
 まず、大型書店での「平積み」という現在の販売書籍のディスプレイシステムは、オンデマンド印刷の時代であってもそのまま継続されるものと思います。大型店舗のディスプレイスペースを生かし、視覚に訴える完成された展示販売システムがそう簡単にはなくなるとは思えません。ただ、平積みされる書籍の内容は、各書店が販売方針によってこれまで以上に柔軟に変えることが可能になってくるでしょう。何か大きな事件が起きたとき、これまではその事件の関連情報に関する本がストックされていなければ、増刷され、店頭に並ぶまでに一定の時間が必要でした。サーバー上にあるデータを各店舗で印刷すれば良いのであれば、事件の翌日に関連書籍を平積みできます。これは書店に「速報性」という新しい武器をもたらします。また、一般的には人気がなくても、ある特定の場所にある店舗では根強いニーズのある書籍といったものも存在すると思われますので、こうしたニーズを汲み上げて売り上げをアップさせることも可能になります。
 一方で、地方の小型書店はどうなるでしょうか。これは、簡易オンデマンド印刷機と最小限の展示スペース、といった形に変化していくのではないでしょうか。印刷には多少の時間がかかりますから、カフェのような軽飲食店やコンビニエンスストアとの融合も起きてくるでしょうし、ショッピングモールの中に組み込まれた「書店カウンター」といった業態も考えられます。

 印刷会社の印刷部門はどうなるでしょうか。これは、ハードカバーのような豪華装丁本の印刷や、多色刷り印刷といった部分に特化する方向に向かうのではないかと思います。「オンデマンド印刷」が書店で行えるようになるといっても、何も豪華装丁ハードカバーを印刷・製本できる設備が各書店に備え付けられるわけではありません。それはおそらくコスト的に割に合いません。こういった豪華本・特殊印刷本の印刷は相変わらず都市部の印刷会社の仕事となるでしょう。ただし、従来と流れが全く変わらないかといえばそうでもありません。書籍は従来自社で制作したものを自社で印刷する流れが主でしたが、今後は自社・他社を問わずオンライン上にあるデータを印刷会社がダウンロードし、高品質の印刷が可能な大型オンデマンド機で印刷する流れに変化してくるように思います。オンラインのデータがあらゆる形に変えられる「中間データ」として蓄積されていれば、印刷会社側の受け入れ・変換システムと組み合わせてあらゆる判型・文字の大きさで印刷できるようになります。また、1冊単位で高速/高品質印刷できる大型オンデマンド印刷機があれば、個々の読者が一般的には人気がなくても個人的に思い入れのある1冊をネット経由で注文し、豪華装丁ハードカバーとして印刷させて自分の書棚に並べることも可能になるでしょう。さらに、コンテンツの一部を1冊ずつ変えて印刷することも不可能ではありません。これは例えば、主人公の名前を自由に変えられる児童書、といったような形への展開が考えられます。
 こうしたきめ細かな注文への対応は各書店の簡易オンデマンド印刷機では限界がありますから、自ずと高度な技術・大型オンデマンド印刷設備を持つ印刷会社の仕事になってくるでしょう。

 さて、この流れが定着すれば、従来ひとつの印刷会社の中で行われていた「コンテンツ制作」と「印刷」という業務の関連性が徐々になくなってきます。この2つの業務を同じ屋根の下で行う必然性が失われてくるのです。その結果、「コンテンツ制作」に特化して「印刷」を廃業し、Webやデータベースといった技術と結びつきを強める「制作会社」と、さまざまなタイプの高度な「印刷」に特化して「コンテンツ制作」をしなくなる新しいタイプの「印刷会社」に2分される流れが起きてくる・・・と見るのはいささか早計でしょうか。

 こうした変化が一朝一夕に実現されるとは思いませんし、もちろん全てがこの通りにはならないかもしれません。ただ、電子書籍をめぐる動きはこうした「紙」書籍をも巻き込む形で展開されて行くことが当然予想できますし、そうした変化に柔軟に対処する心構えは、全ての出版・印刷関係者にとって必要となってくるでしょう。「紙」は聖域ではありません。

※1 参考:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102280062.html
※2 出版取次:http://ja.wikipedia.org/wiki/出版取次

(2012.4.11)

「オンデマンド」は印刷方式ではなく、昨今では従来方式のオフセット・グラビア印刷でも小ロットが要求されている状況から、「無版を特徴とするデジタル印刷」という表記が現在では正しいのではないか、とのご指摘をいただきましたので追記させていただきます。また、最近では300〜3000部程度向けのデジタル印刷機や、大量印刷向けのデジタル印刷機も登場しているとのことです。こうした新しい技術の流れが今後どういった影響を及ぼしてくるのか、当分は目が離せません。

(2012.5.02追記)

プロフィール
Jun Tajima

こちらにて、電子書籍&Web制作を担当しています。
このブログは、EPUB3をはじめとした電子書籍制作担当オペレータからの、「電子書籍の制作時にたとえばこんな問題が出てきていますよ」的な「現地レポート」です。少しでも早い段階で快適な電子書籍閲覧・制作環境が整うことを願って、現場からの声を発信していこうと目論んでおります。

当ブログ内の記事・資料は、私の所属しております組織の許諾を得て掲載していますが、内容は私個人の見解に基づくものであり、所属する組織の見解を代表するものではありません。また、本ブログの情報・ツールを利用したことにより、直接的あるいは間接的に損害や債務が発生した場合でも、私および私の所属する組織は一切の責任を負いかねます。