紙で読みますか? 電子で読みますか?
2012/05/08 電子書籍の話題も、最近は大分一般認知されてきた感があります。このごろは電車の中でタブレットを操作している人をちらほら見かけるようになりました。そのうちのどれだけの人が電子書籍を読んでいるのかは分かりませんが、ひところに比べれば電子書籍の読者も増えてきているのは間違いありません。しかし、紙の書籍の読者の数とでは、比較対象にもならないのが現状とも思います。
正直、自らを省みても、こんなブログを書いていながらほとんどの本を紙で買って読んでいます。まだまだ電子書籍は「紙の書籍」を押しのけて買わせるだけの魅力は持っていないように思えるのです。このもやもやした 紙の書籍>電子書籍 な感じを払拭しない限り、電子書籍の大規模普及は難しいようにも思えます。個人的には全ての書籍が電子書籍に置き換わる必要はなく、状況に応じて紙の書籍と電子書籍を選んで読める環境があれば良いとは思っていますが、現状では「電子書籍は選択肢に入ってこない」事実をきちんと認識しておく必要はあるでしょう。
そこで今回は、紙の書籍/電子書籍双方の持つ特性をざっと列挙し、電子書籍の普及にはどういったファクターが必要になるかを考えてみました。
1 携帯性/収納性 電子:○ 紙:×
かさばらないことは、現状ですでに期待できる電子書籍の大きなメリットです。旅行などの際には荷物を減らす意味で電子書籍を選ぶインセンティブがすでに存在しているように思います。このアドバンテージをさらに推し進めるために必要となるのはまず、「ラインナップの拡充」、次に「異なる電子書店をまたいだタイトル検索システムの整備」でしょう。読みたい本が電子化されていなかったり、例え電子化されていてもどこで売られているのかすぐに見つけられなければ、多少の荷物になるのを覚悟して紙の書籍を選ぶことになります。
ラインナップの拡充については各出版社・制作会社の対応が待たれるところですが、出版デジタル機構等の登場もあり、だいぶ出版社の参入障壁も低くなってきているように思いますので、これからの展開に期待したいところです。制作サイドとしても、次世代電子書籍規格の本命であるEPUB3に対応した制作ソフトもそれなりに出揃ってきた感がありますし、EPUB3対応のビューアもまだ縦書きなどの日本語表現に一部難があるものが多いとはいえ出てきてはいますので、快適に電子書籍が作れるようになるまでもう少しといったところです。
異なる電子書店をまたいだタイトル検索システムについては、「OPDS※1」という規格が存在しています。これは電子書籍の書誌情報をオープンに流通させるためのもので、こうした仕組みがほとんどの電子書籍タイトルで使えるようになれば、「探しにくさ」の問題はほぼ解消されるものと思います。すでにO’Reilly Mediaや達人出版会など、対応をはじめている出版社も存在するようです。旅先などでスマートフォン等から気軽に読みたい本を探し出し、簡単に購入できるようになるまであと一歩といったところでしょうか。
また、旅行などでなくても、普段の業務の中で大きく厚い紙の書籍を何冊も持ち運ぶ必要があった職業の人々にとって、iPad等で楽に資料を持ち運べることの意義は確実に存在します。こちらは特に専門書や教科書といった分野で求められる部分でしょう。Amazonがアメリカで展開している教科書の電子レンタルサービス「Kindle Textbook Rental※2」は、このあたりを狙ったものと思います。一般にアメリカの教科書は日本のそれより重くて厚いため、こうしたサービスにニーズがあると見込んだようです。状況の異なる日本の教科書市場にそのまま輸入できるモデルではないと思いますが、こうした動きが出ていること自体は注目して良いように思います。
一般の読者にとっても、書棚で場所を取らないことには決して小さくはない意味があります。これは、「自炊」(個人で紙書籍をスキャニングし、電子化する行為)によって蔵書をデジタル化している人々が多数いることからも推測できるように思います。必ずしも個人レベルで敷居が低いとは言えない「自炊」をしてまで電子書籍を求めている人がそれなりの数存在することは、電子書籍の潜在ニーズがきちんと存在していることの何よりの証です。諸外国に比べて狭い家に暮らさざるを得ない日本人にとって、蔵書が居住スペースを圧迫しないことにはそれなり以上の意味があるということでしょう。ただ、すでに「自炊」という電子書籍の入手手段が存在している以上、商業販売する電子書籍にはそれを越える価値が求められることも忘れてはいけないようにも思います。
2 モノとしての充足感 電子:× 紙:○
紙の書籍には問答無用のモノとしての充足感があります。お金を払って「モノ」を手に入れ、満足感を得る。私たちはこのプロセスに子供の頃から慣れ親しんでおり、お金を払っても実体のない電子データのみしか手元に残らなければどうしても不満は残ります。これはこれまで長期にわたってWebを通じて刷り込まれてきた「電子データ=無料」という図式による部分も大きいようにも思えるのですが、その呪縛を脱するために電子書籍という新しい形式が必要になる、との意見にはなかなか説得力があります。
一方で、現状の電子書籍で充足感が得られにくい理由は「モノとしての歴史や作り込みがまだ全然足りていない」ことにも求められるように思えます。今販売されている紙の書籍が実は長い歴史の中でふるい分けられ、「読みやすい」とされた大きさの紙に、同じく「読みやすい」とされたフォントを用い、紙書籍の読みやすさを日々追求している組版のプロによって制作されてきたパッケージ製品であることを忘れるべきではありません。また、カバーの装丁などデザインに関しても、少しでも読者の目にとまりやすいように配色やタイトル文字のサイズ、紙質に至るまで考え抜かれて制作され、店頭に並べられているわけで、こうした要素が電子書籍化によって幾分かでも失われるのなら、入手の際の充足感に不満を感じても不思議ではありません。今日書店で目にする紙の書籍は、カバーひとつを取ってみても実に多様な印刷方式・デザインで制作されており、こうしたパッケージの魅力を電子書籍で完全に再現することは決して簡単ではありません。
電子書籍でこの「充足感」を少しでも補足するためには、紙の書籍では得られない電子書籍ならではの要素をどう盛り込めるかがカギになってくるように思います。例えばカバーひとつを取ってみても、物理的に印刷するわけではない電子書籍では「多種類のカバーバリエーションを用意して読者に選んでもらう」といった展開が紙書籍より手軽にできますし、音声や動画といった紙書籍では盛り込みようのないファクターも電子書籍なら盛り込むことができます。
個人的にはこの部分は、1冊の本の価格のどれだけを「紙で読むというカタチ」への思い入れに対して支払っているのかにも関連しているのではないかと考えています。小説などのカタチへの思い入れが強くなるジャンルではモノとしての充足感に強い不満を感じ、情報を買う意味合いの大きいビジネス書や専門書ではそこまでの不満は感じにくいのではないでしょうか。
3 検索性 電子:○ 紙:×
検索システムとの相性の良さは、電子書籍の本来持っている大きなメリットです。これは、「電子辞書」がすでに単独製品として成功していることからも容易に理解できます。これは必要な部分のみを拾い読みすることの多い専門書では特に強く求められる部分で、必要な文献を短時間で的確に探し出せることは、紙の書籍よりも電子書籍を選ばせる大きなインセンティブになるものと思います。さらには1冊の内部にとどまらない、類書や参考文献へのリンクを含めた多彩なインデックスの仕組みが構築されれば、この分野での電子書籍の広い普及に繋がっていくでしょう。書籍内部の索引は現状のEPUBではまだ公式の仕様が策定されていない分野で、現在議論が進行中です。統一仕様であることが書籍をまたいだ索引検索の条件になってくるようにも思いますので、正式な仕様策定を待ちたいところです。
専門書分野と切っても切れない深いつながりを持つ図書館サイドのプロジェクトとしては、国立国会図書館の「国立国会図書館サーチ※3」というデータベース横断検索サービスがすでに稼働しはじめており、紙書籍を含めて学術論文集や地方図書館の蔵書情報などが検索できるようになってきています。また、図書館と個別契約を結び、蔵書をスキャンしてデジタル化しようとしたGoogleのプロジェクト「Google Book Search Library Project」も、巨大なデジタルライブラリの構築を目指すという意味で最終的には同じ方向性を目指していると見られます。ただ、「Google Book Search」に対して今アメリカで巻き起こっている著者/出版社を巻き込んだ大規模な訴訟に見られるように、こうした「検索の利便性」は「著作権」とぶつかる部分があり、どこかで収益モデルの再調整が必要になってきます。
一旦はGoogle側が引いたようにも見えたGoogle Book Searchの和解問題は今年に入って再燃※4しており、予断を許さない状況です。これは決して「対岸の火事」ではないため、しばらくは注視しておく必要がありそうです。
4 保存性・独立性 電子:× 紙:○
紙の書籍は独立したパッケージメディアですので、例え子供時代に買ったものであっても、紙が傷んでいなければ十分に読むことができます。一方で電子書籍は基本的には端末機に依存する消費型コンテンツであり、その「賞味期限」は長いとは言えません。また、友人に貸したり※5、古書店に売ったりするような、紙の書籍なら当たり前にできる行為も基本的にできません。O’Reillyの技術書など、一部、DRM(コピーガード)を適用せずに販売している電子書籍※6などでは友人に渡すことは可能ですが、販売形態として一般的ではありません。また、例えDRMフリーのコンテンツであっても、EPUB3のようなフォーマット規格自体の「賞味期限」もかなり短いことが予測できるため(ここ10年でどれだけのデジタル規格が現れては消えていったか考えてみてください)、やはり紙の書籍と同等の「賞味期限」は保ち得ません。これを考えると、電子書籍の長期的な価値は紙の書籍には及びません。
これを多少でも緩和するためのひとつの回答が、AmazonのKindleや紀伊國屋書店のKinoppyといったようなサービスでの「クラウド上にある電子データへの自由なアクセス権を売る」というモデルです。データはユーザーIDに紐付けされており、ユーザーは好きなデバイスからそれを読むことができます。これであれば少なくとも端末機が壊れたら読めなくなるという短期的なリスクの問題は解決できます。高価な専門書等を電子書籍で販売するには、当分はこの考え方が必須になるように思います。ただ、販売会社が「業務撤退」を選んだ場合、これまで読めていた本が一気に読めなくなることも考えられます。このあたりの問題に関しては、こちらのエントリーが参考になります。
もうひとつの回答は、「消費型コンテンツ」であることを前提に紙の書籍よりも安く売ることですが、これをしてしまうと、結果的に紙の書籍の価格も下げざるを得なくなるのではないかと思われるため、出版社が現時点で躊躇せざるを得ないのは理解できます。
個人的にはここの問題は「紙の書籍と少しでも違った商品として売る」ことでしか解決できないのではないかと思っています。「短編集を解体して一篇ずつ売る」、「ビジネス書に多数の動画コンテンツを内包して売る」といったような展開です。同じ商品が紙の書籍と電子書籍で売られていれば当然比較されますが、少しでも違う商品であればそもそも比較の対象になりにくいものと思います。
一部の専門書系出版社が「情報提供サービス」への方向性を模索しているのも、このあたりの問題への回答のひとつでしょう。
5 表現力 電子:○ 紙:×
映像や音声との融合といったリッチコンテンツへの発展性、リンクなどを通じた外部のコンテンツとのシームレスな連携は、紙の書籍にはない電子書籍ならではの大きなメリットです。
ここに求められるものはどういったタイプの書籍なのかによって大きく違ってきますし、アイデア次第で売れる売れないが大きく違ってきそうです。また、紙の書籍と比較して同程度の価格を維持するためにも、この部分がカギを握るでしょう。
まず、小説やビジネス書などの文字中心の読み物では文字の拡大縮小や音声読み上げといったユニバーサルアクセス的な部分の拡充を期待します。このうち、文字の拡大はリフロー型書籍ではすでに可能ですが、ビューア側が実装するべき最大文字サイズがどの程度のポイント数なのかなどについては、まだ一般的な回答が出ていないように思います。また、音声読み上げの本格普及はこれからの課題で、これが当たり前になれば視覚障害者や老眼等で活字を追うのが辛くなってきた層へのアプローチ材料になるだけでなく、忙しいビジネスマンが電車などの移動中にオーディオブック的に「聞く」といった展開も考えられるため、紙の書籍と同程度の価格でも電子書籍を選ぶインセンティブになり得るのではないでしょうか。
EPUB3は、「DAISY」という視覚障害者などに向けた音声読み上げ規格を取り込んで成立していますので、音声読み上げはソフトウェアの対応状況さえ整えば比較的早期に実装できる機能であるように思います。今後の展開に期待したいところです。
さらに、前述したようにコンテンツに動画や音声を埋め込めることは、紙の書籍では考えられなかった表現の可能性を生みます。例えば動きの説明に分解写真ではなく動画を使えば、教科書等でとてもわかりやすい説明ができそうなことは簡単に理解できますし、ニュース的なコンテンツに「ライブ感」を与えるために音声を埋め込むといった手法も有効でしょう。また、外部サイトと電子書籍を連携させることで、さまざまな相乗効果を生むことも期待できそうです。
コミックなどの分野ではニコニコ静画の試みのように「ソーシャルアクセス」などと関連させて、新しい面白さを創出できるかどうかがひとつのカギになるのかもしれません。
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ちょっとまとめてみます。まず、1の携帯性/収納性および3の検索性は電子書籍が紙の書籍に対して持っている大きなアドバンテージですが、一方で2のモノとしての充足感は電子書籍では得られにくく、さらに4で述べたように賞味期限が短く、友人に貸すことや読み終わった後に古書店に売ることもできない電子書籍は紙の書籍と比較して同一価格では売りにくい面がある。このギャップを埋めるためには5の表現力で述べたように「紙の書籍ではできなかった」付加価値がカギを握りそうであり、場合によっては「全く違った商品」として供給する選択肢もある、といったようなところです。
※1 参考 OPDS:http://d.hatena.ne.jp/tatsu-zine/20110118/1295329201
※2 参考 Kindle Textbook Rental:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1107/19/news022.html
※3 国立国会図書館サーチ:http://iss.ndl.go.jp/
※4 参考 Google Book Search裁判について:http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/14/news076.html
※5 参考 Lending Kindle Books:http://www.amazon.com/gp/help/customer/display.html?nodeId=200549320
※6 参考 DRMフリーの電子書籍:http://www.oreilly.co.jp/editors/archives/2011/05/ann-ebook-drm-free.html
(2012.5.08)