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「紙」は聖域ではない

2012/04/11

 電子書籍に関するニュースなどに対する反応を見ていると、「自分はこれからも紙で買うからいい」という意見が散見されます。まだまだ電子書籍の読書環境が整っているとは言いがたく、これだけ「紙の本」の環境が充実している日本ではもっともと思える意見です。ただ、「紙の本」の制作・流通形態もまた、これまでとずっと同じというわけにはいきそうにありません。すでにその変化は始まっているように感じています。
 今回は、新しい紙印刷のカタチ、「オンデマンド印刷」について書いてみたいと思います。電子書籍のブログで何故、と思われる方もおられるかも知れませんが、おそらく電子書籍とオンデマンド印刷は無縁ではなく、将来的に相互補完する形で普及していくものと思われるからです。

「オンデマンド」の意味するもの

 印刷業界の中には、「オンデマンド印刷」を「プリンタと同じトナーで印刷するオフセットやグラビアとは違う印刷方式」ととらえておられる方が多いのではないかと思います。これは現状の「オンデマンド印刷機」に対しての説明としては正しいですが、「オンデマンド印刷」そのものの説明としては必ずしも正しくありません。では「オンデマンド印刷」とは何を指すのでしょうか。これは、「注文を受けてから印刷する方式」を指しています。印刷方式がトナーを用いたものでなくても、顧客の注文を受けてから印刷する方式であれば「オンデマンド印刷」です。
 出版・印刷業界の方の中には、ここで当然の疑問を持たれる方もおられるのではないかと思います。「従来のオフセット印刷であれグラビア印刷であれ、顧客である出版社の注文を受けてから印刷をしていたことに違いはないではないか」と言う疑問です。実際、今現在各印刷会社がオンデマンド印刷機を導入している理由も、オフセット印刷よりも少部数印刷に強みを持つオンデマンド印刷機を導入し、各出版社の少部数印刷の要求に応えるためです。例え少部数であれ、印刷されたものが出版社に引き渡され、出版取次を通して全国に配本されるという形において、これは従来の印刷と何ら変わりのないものです。ですが、おそらくこれは「オンデマンド印刷」のもたらす変化の第1ステージに過ぎないものと思われます。

「読者の注文を受けてから書店で印刷する」販売モデル

 「顧客」が「出版社」である限り、「オンデマンド印刷」は従来のオフセット印刷の延長線でしかありません。しかし、最終的に書籍を手にするのは「出版社」ではなく「読者」です。もし、末端顧客である「読者」の注文を受けてから「書店の店頭で」印刷するとしたらどうでしょうか?実はすでに、この形を試験的ながら実現したモデルが存在します。
 昨年初頭、三省堂書店に導入された「エスプレッソ・ブック・マシン※1」という簡易オンデマンド印刷機をご記憶の方も多いかと思います。私も興味を持ち、試してみた一人でした。これは書店の店頭で顧客が注文した本をその場で印刷し、表紙までつけて製本するというマシンで、10分程度でコーヒーを飲んでいる間に出来上がることから「エスプレッソ」という名前を与えられたとのことです。正直1冊あたりの価格は決して安くはなく、ラインナップは少なく、印刷クオリティもまだまだ低く感じられましたが、それよりも「もうここまで出来るようになっていること」に驚きと戦慄を覚える気持ちの方が大きかったことを記憶しています。
 おそらくこれこそが、オンデマンド印刷の目指す最終ステージの「ひな形」ではないかと思います。「読者の注文に応じて1冊ずつその場で印刷する」こと、これがオンデマンド方式の最終到達点のひとつではないでしょうか。現時点での印刷品質や価格はそれほど重要ではありません。品質は、その製品の本質的なコンセプトが正しく、ニーズがありさえすれば急速に改善されるものであることは、例えばiPodの初代から以後の世代へのハードウェア的な洗練の歴史を振り返れば容易に納得できます。価格も流通量と比例して一定ラインまでは速やかに下がるでしょう。それよりも、この新方式が意味する書籍流通システムの本質的な変化にもっと目を向けるべきではないかと感じます。

流通・在庫コストがほぼゼロになり、書店が無限の在庫を持てるシステム

これまでの書籍流通システム

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 現在、紙書籍は私が所属している会社のような印刷会社で制作され、出版社の要求冊数に応じて印刷されて出版社の倉庫から出版取次を通して各書店に搬送されます。Amazonのようなネット書店であっても、「書店」が「Amazonの倉庫」になるだけで、基本的にこのモデルに変わりはありません。出版社はあらかじめ「売れる冊数の見込み」を立てて印刷させ、見込みを超えて売れれば増刷され、見込みよりも売れなければ一定期間を経た後、出版取次※2を通して返本されます。
 これはもともと、活版印刷のような巨大な印刷機と非オンラインの時代に成立したシステムであり、当時としてはこれが最適解であったことと思います。ただ、このやり方ですとどうしても、見込みを超えて売れすぎれば増刷までのタイムラグによる販売機会損失が起き、見込みよりも売れなければ大量の返本が発生する、といったリスクを避けられません。また、売れる見込みが一定部数に到達しなければ増刷もかからないため、本来店頭で手に入る状態なら買ってもらえたかもしれない本が、品切れになっているために買ってもらえない、といった目に見えない機会損失も生じてきます。
 また、各書店の倉庫の面積は有限ですから、結局全ての本を在庫としてストックしておける訳ではありません。さらには配送の費用や時間といった要素も当然無視はできません。現在の配送のコストは極限まで低く押さえ込まれているとは思いますが、それでも「ゼロ」にはなりません。
 「読者の注文に応じて1冊ずつその場で印刷」すれば、これら全ての問題が解決してしまいます。そもそも物理的な在庫がありませんから倉庫を圧迫することもありませんし、返本のリスクもありません。各書籍の元データは、オンライン上の大量に書籍のデータがストックされたサーバーから発注がかかった時点でダウンロードすれば良い話になりますので、実質各書店が書籍の在庫を無限に持っているのと同じことになります。オンライン維持費はかかりますから配送コストは完全なゼロではありませんが、トラックで配送する費用を考えればほぼ「ゼロ」と見なしても良い程度に押さえ込めます。出版社が何らかの方針で絶版にしていない限り、品切れのリスクもなくなります。

書籍データのコンテンツラインナップをどう揃えるか

電子/オンデマンド書籍流通システム

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 一見いいことずくめに思える「オンデマンド印刷」のシステムですが、これが普及するためには越えなければならない大きな「壁」があります。それは書籍の「ラインナップ」をどう揃えるか、という問題です。例えどれだけ魅力的な次世代のシステムであっても、十分な数のコンテンツが揃わなければ絵に描いた餅です。
 実は、コンテンツのラインナップを揃える見込みはすでに存在しているのです。そもそも、ここまでの文章を読んで、ある種の「既視感」を覚えた方も多いのではないでしょうか。そう、オンデマンド印刷のメリットも、現状の問題点も、「電子書籍」のそれと全く同じです。従って「ラインナップ」もまた、電子書籍用の蓄積コンテンツをそのまま共用することが期待されます。そして、出版デジタル機構が目標として掲げている「100万冊」の電子化コンテンツは、そっくりそのまま「オンデマンド印刷」に流用できる性質を持つものです。そうした可能性を見込んでの「構造化された中間データ形式での蓄積」であるのだと思います。従来型の出版エコシステムからの移行に伴うさまざまな問題・・・法整備、出版社側の決裁システムの整備などの問題も、電子書籍用コンテンツの準備と連動して解決されることと思われます。
 もしこの「100万冊」のコンテンツ化が実現し、「エスプレッソ・ブック・マシン」よりもさらに進んだ次世代の簡易オンデマンド印刷機が全国に行き渡ったらどうなるのか。すなわち「100万種類のストックを持つ書店」が、全国に誕生することになるでしょう。

従来の書店・印刷会社はどうなるのか

 さて、そうなった時、従来の書店や印刷会社はどうなるのでしょうか。
 現在、日本ではAmazonを代表格としたネット書店の台頭によって小さな書店の閉店が相次ぎ、大型書店といえども苦しい経営を強いられている状況にあります。新宿ジュンク堂の閉店が記憶に新しい方も多いことでしょう。簡易オンデマンド印刷機は、従来型の書店に何をもたらすでしょうか。
 まず、大型書店での「平積み」という現在の販売書籍のディスプレイシステムは、オンデマンド印刷の時代であってもそのまま継続されるものと思います。大型店舗のディスプレイスペースを生かし、視覚に訴える完成された展示販売システムがそう簡単にはなくなるとは思えません。ただ、平積みされる書籍の内容は、各書店が販売方針によってこれまで以上に柔軟に変えることが可能になってくるでしょう。何か大きな事件が起きたとき、これまではその事件の関連情報に関する本がストックされていなければ、増刷され、店頭に並ぶまでに一定の時間が必要でした。サーバー上にあるデータを各店舗で印刷すれば良いのであれば、事件の翌日に関連書籍を平積みできます。これは書店に「速報性」という新しい武器をもたらします。また、一般的には人気がなくても、ある特定の場所にある店舗では根強いニーズのある書籍といったものも存在すると思われますので、こうしたニーズを汲み上げて売り上げをアップさせることも可能になります。
 一方で、地方の小型書店はどうなるでしょうか。これは、簡易オンデマンド印刷機と最小限の展示スペース、といった形に変化していくのではないでしょうか。印刷には多少の時間がかかりますから、カフェのような軽飲食店やコンビニエンスストアとの融合も起きてくるでしょうし、ショッピングモールの中に組み込まれた「書店カウンター」といった業態も考えられます。

 印刷会社の印刷部門はどうなるでしょうか。これは、ハードカバーのような豪華装丁本の印刷や、多色刷り印刷といった部分に特化する方向に向かうのではないかと思います。「オンデマンド印刷」が書店で行えるようになるといっても、何も豪華装丁ハードカバーを印刷・製本できる設備が各書店に備え付けられるわけではありません。それはおそらくコスト的に割に合いません。こういった豪華本・特殊印刷本の印刷は相変わらず都市部の印刷会社の仕事となるでしょう。ただし、従来と流れが全く変わらないかといえばそうでもありません。書籍は従来自社で制作したものを自社で印刷する流れが主でしたが、今後は自社・他社を問わずオンライン上にあるデータを印刷会社がダウンロードし、高品質の印刷が可能な大型オンデマンド機で印刷する流れに変化してくるように思います。オンラインのデータがあらゆる形に変えられる「中間データ」として蓄積されていれば、印刷会社側の受け入れ・変換システムと組み合わせてあらゆる判型・文字の大きさで印刷できるようになります。また、1冊単位で高速/高品質印刷できる大型オンデマンド印刷機があれば、個々の読者が一般的には人気がなくても個人的に思い入れのある1冊をネット経由で注文し、豪華装丁ハードカバーとして印刷させて自分の書棚に並べることも可能になるでしょう。さらに、コンテンツの一部を1冊ずつ変えて印刷することも不可能ではありません。これは例えば、主人公の名前を自由に変えられる児童書、といったような形への展開が考えられます。
 こうしたきめ細かな注文への対応は各書店の簡易オンデマンド印刷機では限界がありますから、自ずと高度な技術・大型オンデマンド印刷設備を持つ印刷会社の仕事になってくるでしょう。

 さて、この流れが定着すれば、従来ひとつの印刷会社の中で行われていた「コンテンツ制作」と「印刷」という業務の関連性が徐々になくなってきます。この2つの業務を同じ屋根の下で行う必然性が失われてくるのです。その結果、「コンテンツ制作」に特化して「印刷」を廃業し、Webやデータベースといった技術と結びつきを強める「制作会社」と、さまざまなタイプの高度な「印刷」に特化して「コンテンツ制作」をしなくなる新しいタイプの「印刷会社」に2分される流れが起きてくる・・・と見るのはいささか早計でしょうか。

 こうした変化が一朝一夕に実現されるとは思いませんし、もちろん全てがこの通りにはならないかもしれません。ただ、電子書籍をめぐる動きはこうした「紙」書籍をも巻き込む形で展開されて行くことが当然予想できますし、そうした変化に柔軟に対処する心構えは、全ての出版・印刷関係者にとって必要となってくるでしょう。「紙」は聖域ではありません。

※1 参考:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102280062.html
※2 出版取次:http://ja.wikipedia.org/wiki/出版取次

(2012.4.11)

「オンデマンド」は印刷方式ではなく、昨今では従来方式のオフセット・グラビア印刷でも小ロットが要求されている状況から、「無版を特徴とするデジタル印刷」という表記が現在では正しいのではないか、とのご指摘をいただきましたので追記させていただきます。また、最近では300〜3000部程度向けのデジタル印刷機や、大量印刷向けのデジタル印刷機も登場しているとのことです。こうした新しい技術の流れが今後どういった影響を及ぼしてくるのか、当分は目が離せません。

(2012.5.02追記)

「異体字」問題・その1

2012/03/30

印刷物から電子書籍を作成するにあたって乗り越えなければならない問題はたくさんありますが、まず真っ先に問題となると思われるポイントのひとつ、「異体字」の問題について書いてみたいと思います。

異体字とは何か

日本語文書では実にたくさんの漢字が用いられますが、同じ文字でも微妙に字形が異なる文字を用いる場合があります。特に人名・地名で頻出する「旧字体」などが広く知られた例ですが、印刷物に用いられている異体字形のバリエーションは、到底それだけで収まりきれるようなものではありません。

「辺」の異体字

「辺」の異体字

試みに、「渡辺」の「辺」の字の異体字をInDesignの字形パレットで表示させてみます。1、2、3・・・24種類!これは「Adobe1-6」というグリフ(字形集合)規格に対応したOpenTypeフォントが内包している字形ですが、この字形全てを字形パレットから呼び出して表現できるのが現在の印刷組版システムです。さすがにこの「辺」の文字の字形バリエーションは例外的に多い部類に属しますが、普通の漢字でも「旧字体」「エキスパート字形」「JIS78字形」「JIS83字形」などといった感じで4〜5種類の異体字が存在するものはザラです。

電子書籍化に伴う問題

問題は、この印刷物で用いられている字形の中に、電子書籍でそのまま表現できない字形が多く含まれていることです(外字画像を使うという選択肢はとりあえず除外します)。字形の違いに対して別のユニコード符号が与えられているものは問題ありませんが、同一のユニコード符号位置に対してInDesign/Illustratorなどの対応アプリケーションの中から呼び出して切り替えることを前提として2種類以上のグリフ字形が割り当てられているパターンが存在するため、「電子書籍にしたら人名漢字が基本字形になってしまった」というような問題がおそらく起こってきます。
こういった字形に絡む問題はとても根が深く、電子書籍以前から書籍系印刷会社を悩ませてきた頭痛の種です。JIS規格の改訂がかかるたびに字形の変化を目を皿のようにしてチェックし、対応に血道をあげてきたのはおそらく全国の書籍系印刷会社全てに共通する歴史と思います。

新旧「葛」の字形

新旧「葛」の字形

比較的最近の一例をあげますと、「葛」の字のJIS改訂に伴う字形変化の例などが有名です。JIS2000からJIS2004への改訂の際に標準字形が入れ替わった※1ため、全国の印刷会社の現場が悲鳴をあげました。例えばこの「葛」の文字も、ユニコード番号「845B」に旧JIS/新JIS双方の字形が収録されているパターンに該当するため、JIS2000準拠のフォントで組版された「葛」の字を含んだ印刷データをそのまま電子書籍化し、JIS2004準拠のフォントで文字を表示した場合、紙印刷物と異なった字形で表示されてしまいます。どうしても紙印刷物と同一の字形で表示したければ外字イメージで対応するしかありません。こういった状況を改善するためにUNICODE IVSという規格が現在動き始めてはいますが、これも順当に普及したとしても、現場で実際に使えるようになるのはかなり先の話になりそうです※2

おそらくきちんと事前に出版社サイドに説明を行っておけば本文中の字形変化は許容していただけると思われますが、人名・地名といった固有名詞に関してはそうもいかない状況が出てくるかも知れません。これはもちろん「葛」1文字だけの問題ではなく、JIS2000→JIS2004の例示字形の変化だけでも168文字を数えます。過去の印刷データにはそれ以前のJIS規格に沿ったフォントを用いて組版されたものも当然多数ありますから、「結局紙原本と照合して校正した方が早い」という状況になるのではないかと思われます。このあたりはコスト的にとても頭の痛いところです。

また、OpenTypeフォントが普及する以前は、こうした字形のバリエーションへの対応は「外字フォント」を用いていたわけで、こちらはさらに根が深いのですが……いささかキリがありませんので、外字フォントを多用した古い印刷データの電子書籍化については、いずれ機会を見てあらためて書こうと考えております。

※1 参考:http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20070105/258134/
※2 IVS技術促進協議会:http://ivstpc.jp/default.htm

(2012.3.30)

印刷会社としての「電子書籍」への取り組み

2012/03/30

なぜ印刷会社が電子書籍に取り組む必要が出てきているのか

オフセット印刷機

オフセット印刷機

このブログを始めるにあたって、まず、なぜ印刷会社が「電子書籍」に取り組む必要があるのかについて最初に書いておきたく思います。というのも、電子書籍関連のどのセミナーに行ってご挨拶をさせていただいても、「印刷会社です」と言うと意外そうな顔をされる方が多いからです。どうも「電子書籍は出版社の作るもの」との考えが一般的には根付いているようで、印刷会社で電子書籍と言うと「畑違い」との印象があるのでしょうか。

出版業界全てとは言いませんが、少なくとも私が所属している文芸・学術系の書籍出版業界においては、少なくとも技術的な側面に関して、「印刷会社」が電子書籍制作に正面から取り組まなければならない状況が出てきています。そうした状況は、書籍出版業界の伝統的な業界構造に根ざして生まれてきています。

印刷会社は「印刷をするだけ」の存在ではない

一般的な「印刷会社」のイメージは、コンクリートの床の上に設置された巨大な印刷機が朝から夜まで回り続け、大量の紙を四六時中吐き出し続けている、といったようなものでしょうか。そのイメージは決して間違いではありませんが、少なくとも書籍印刷系の印刷会社にとって、それは全体の業務の一部分に過ぎません。書籍印刷系印刷会社の中には必ず「書籍制作部門」があり、そこにはずらりと並んだコンピュータに向かってDTP組版ソフトを操作する数多くのオペレータの姿があります。著者が執筆し、出版社内の編集者によって編集され、まとめられた原稿は印刷会社内の組版オペレータの手によってDTP組版データとして加工され、実際に印刷できる状態となります

電算写植機

電算写植機

誤解しないでいただきたいのですが、こうして印刷会社の中で組版処理が行われ、書籍が制作されるのはなにもDTPが一般化してから起こってきた新しい業態ではありません。過去には、DTP組版ソフトをインストールしたコンピュータの代わりに「電算写植機」がずらりと並ぶ姿がそこにはありました。それ以前の時代には電算化以前の「写植機」、さらに時代を遡れば、「活版印刷」の設備がそこには存在し、職人の手によって文字通り鉛の活字を用いて版を組む「組版」が行われていたのです。つまり、書籍出版業界においては、出版社が企画と編集までを担当し、それ以降の技術的制作の部分は「印刷会社」が担当してきた歴史的な経緯があるのです。

もちろん、例外があることは承知しています。早い段階から社内に電算写植機を導入し、積極的に制作工程の内製化を模索してきた意欲的な出版社も存在しますし、現在、電子書籍関連のニュースで頻繁に名前が出てくるコンピュータ技術書系の出版社などのように、設立時にDTPが一般普及していた比較的新しい沿革を持つ出版社の多くは、社内に制作部門を持ち、原則として社内で印刷データの制作を行っているものと思います。ただ、こうした先進的な業態を持つ出版社は、おそらく書籍出版業界全体で見た場合には少数派です。多くの出版社は、依然として書籍の技術的制作の部分を印刷会社に委託している現状があります。

これがすなわち、「印刷会社が電子書籍に取り組まなければならない理由」の本質です。こと書籍制作の技術的側面の変化に関しては、それが紙書籍に関するものではなくても、印刷会社は本気で取り組まなければならないのです。

「印刷データ使用権」の問題

さて、仮に出版社が紙書籍を電子書籍化して発売しようと考えた場合、一番の障害となるのは何でしょうか。それはおそらく、「二次使用権利処理」ではないかと思います。現在の日本の著作権法における権利処理の煩雑さについては、私などがどうこう言うよりも専門の方による本※1を読んでいただいた方が良いかと思いますので割愛しますが、印刷会社との関係において問題になってくるのは電子書籍のもととなる「印刷データの使用権」についてです。

実は、特別な契約がない限り「印刷データ使用権」は出版社ではなく、印刷会社が所有しています。これは、印刷データは紙書籍を作成するための「中間生成物」であり、書籍そのものではないという判断から来るようで、裁判による判例も出ているようです※2。そうなってくると、出版社が印刷データを元として電子書籍を制作するには、「印刷データ使用権」を持つ印刷会社に交渉して印刷会社において電子書籍を制作させるか、もしくはその書籍の「印刷データ使用権」を買い取るか、といった手順が必要となってきます。(こういった部分の煩雑さを避けるために、早い時期から印刷データの引き取り契約等を考えてきた出版社が存在していたことも附言しておきます。)

前述した事情からわかるように、これまで社内で書籍のデータ制作を行っていなかった出版社が、「印刷データ使用権」を買い取ったとしても独力で印刷データを電子書籍化するのは難しく、必然的に制作の外注が必要となります。これは当然費用がかさみます。こうした事情も、現在電子書籍のタイトル数が伸び悩んでいるひとつの要因だと思います。(近々正式に発足する「出版デジタル機構」が、業務のひとつとして出版社と電子書籍制作会社の間の仲介を行うことを想定しているのは、こうした事情を踏まえた上でのことと推察しています。)

現在の一般的な書籍制作の流れ

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ここまでの話を読んで、出版印刷業界の内部にいない方の中には、素朴な疑問を持たれた方もおられるのではないでしょうか。すなわち、「印刷会社に入稿する前のテキストをもとに電子書籍を作成すればいいのでは?」という疑問です。これに関しては、「現実問題として、難しいと思います」とお答えしておきます。出版社から入稿された原稿のテキストがそのまま修正なしで印刷データになり、世の中に出て本になる……といったようなことはまず、ありません。私は10年以上出版印刷業界におりますが、一度もそのような経験はありません。初回入稿時のテキストはDTP組版データとして加工され、社内の仮出力用プリンタで出力されて(「ゲラ刷り」といいます)出版社に送られ、著者・編集者の手によって修正指示が入れられます。それが印刷会社に戻されて組版オペレータの手によって修正が反映され、ふたたび出力されて出版社に送られる……といった工程が最低でも3~4回は繰り返されるのが通常です。再版時に細かな修正指示が入ることもよくあります。

これは、大昔から続けられてきた書籍制作のワークフローであり、今後もそう簡単には変わりそうにはありません。つまり、世の中に出回る紙書籍の最新の原版はデジタルデータ的には印刷会社にある印刷用DTPデータの中にしか残っていないため、出版社が単独で電子書籍化を行おうとした場合、最新版の紙書籍をもとにして全テキストを再入力する必要が出てきます。200~300ページの平易な小説などならまだしも、500ページを超えるような専門書等でこれを行うのはどう考えてもコスト的に割に合いそうにありません。従って、「少なくとも既刊本からの電子書籍制作は印刷会社が考えるべき問題」といった結論に結びついてくるわけです。

このブログでは今後、電子書籍の制作を行う過程でどういった問題が発生してくるのかを、現場からの視点で書いてみようと考えています。印刷・出版・WEBなど様々な業界の方からのご意見をいただければ大変ありがたいです。また、電子書籍制作ソフトウェア・ビューア等を開発される会社の方に現場でのニーズを少しでも汲み取っていただき、早期に快適な制作環境が整うことを期待している部分もあったりします。今後、なにとぞよろしくお願いいたします。

※1 福井健策氏の『著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」』(集英社新書)をおすすめしておきます。
※2 参考:http://www.tokyo-printing.or.jp/report/hanken.pdf

(2012.3.30)

プロフィール
Jun Tajima

こちらにて、電子書籍&Web制作を担当しています。
このブログは、EPUB3をはじめとした電子書籍制作担当オペレータからの、「電子書籍の制作時にたとえばこんな問題が出てきていますよ」的な「現地レポート」です。少しでも早い段階で快適な電子書籍閲覧・制作環境が整うことを願って、現場からの声を発信していこうと目論んでおります。

当ブログ内の記事・資料は、私の所属しております組織の許諾を得て掲載していますが、内容は私個人の見解に基づくものであり、所属する組織の見解を代表するものではありません。また、本ブログの情報・ツールを利用したことにより、直接的あるいは間接的に損害や債務が発生した場合でも、私および私の所属する組織は一切の責任を負いかねます。